日本人の朝鮮移住(抜き書き)

父(1885年生まれ)が早稲田を出て柳川へ帰って来た時には、弟の春雄のほうはもう朝鮮へ渡っていた。当時、旧柳川藩士たちは朝鮮の全羅南道の栄山浦に移住して”柳川村”をつくって集団生活をしていた。日露戦争が終わって明治四十年頃というのは、海外雄飛が青年の夢で、一攫千金故郷に錦を飾るといって朝鮮へと渡った。

 

栄山浦では、岡山県出身の黒住さんが最も大地主で(略)、全羅南道でベストテンに入る大地主で、終戦直前には田圃と山林、果樹園を千五百ヘクタール所有していましたから。

消された朝鮮人強制連行の記録―関釜連絡船と火床の坑夫たち

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