この頃満人たちの間では、「関東軍天皇」、満鉄=中将、警官=少佐、残りの日本人は下士官、満人は豚」という自嘲めいた言葉が流布していました。

朝鮮でも台湾でも、植民地はどこでもそうだったらしいのですが、すべてに「日本第一主義」でした。これでは他の民族の人たちがついてくるはずはありません。

しかも満州の場合、五族平等の王道楽土をつくることを旗印にしていたはずです。それでこそ、皇帝も帝位につくことを頷かれたはずです。

 

愛新覚羅浩『流転の王妃の昭和史』中公文庫、2012 p118