読書メモ

『北白川こども風土記』から。

地元の小学生が北白川の史跡や昔話等を調べた成果をまとめた本。

とても勉強になる。近隣住民である私も知らなかったことも沢山書いてあり、それは本にまとめてもなかなか広まらないんだなあということでもある。

 

京大農学部前の今出川通の南側にある二つの石仏について。

 江戸時代の終わりごろ、百万遍の近くには会津の殿様がすんでいました。そのころ北白川には「小鉄」という人がいて、この人は人足(運送などを仕事とする人)の親方だったのですが、会津の殿様のやしきに出入りして仕えていたので、人々から「会津小鉄」と言われていました。

  小鉄は、そのころひじょうにこの石仏さんを信仰していて、毎日おがんだのです。ですから、小鉄が死んでしまったあとでも、家の人たちは小鉄とかわりなく、石仏さんをおがみつづけました。その石の花立を、石仏さんのためにつくってのこしたということです。

 この花立の正面には、「上坂」とほられていますが、これは、もともと小鉄の姓だそうです。また花立のうらがわには大きなひょうたんのもようがほられていますが、これも小鉄の家の紋だということです。

これが会津小鉄会初代の上坂仙吉である。

 

また、茶屋四郎次郎(徳川家の御用商人)が作った茶山園について。叡電茶山駅から茶山街道へ東に行くとある、と書かれてあり、この敷地は現在の京都造形芸術大学である。

ここは別荘で、情延山の別荘とも茶山園とも呼ばれていた。もともと織田信長のものらしいが、所有者が代わり、発行年である昭和34年までには川西さんという飛行機会社の社長さんのものになっていて、すでに荒れていたという。