読書メモ「朝鮮雑記」
この本は東京経済大学図書館に収蔵される桜井義之文庫の原本『朝鮮雑記』(1894年刊)をもとに現代語訳をしたものだ。もともとは1894年4月17日から6月16日にかけて「二六新報」という日刊新聞に掲載されていたものである。
著者は本間九介。1869年 陸奥二本松藩生まれ。1890年に朝鮮に渡る。アジア主義者であったという。1894年京城から釜山に移り、黒龍会の内田良平ら活動家達と交わる。黒龍会の『東亜先覚志士記伝』に本間九介の記事があるようだ。1910年には朝鮮総督府農商工部嘱託となっていて、一種のスパイであったのではないかと監修者は推測している。そして1919年、三・一独立運動が起きた直後、暴動の様子を写真に撮ろうとして暴徒に殺された。
「朝鮮雑記」は著者が朝鮮で見聞きしたことを書いたものである。それはイザベラ・バードの『朝鮮紀行』と似たものもある。例えば宿に泊まろうとしても虫が飛び回っていてなかなか寝られないとか、旅行するには穴あき銭を持ち歩かなければならないとか、官吏が不正のせいで、庶民が少しお金を儲けるとすぐ官吏に取り上げられるため庶民は努力をしようとしないなど。
しかしやはり日本人であるので、日本に似ている風習・少し違う風習についての記述は独特である。
以下、気になったところを箇条書きにする。
・支那を尊ぶ風習がある。
・独立、自立の気概がない。放擲主義。
・朝鮮は日本に古文化をもたらした国。であるのに今の状況はどうしたことか。
・賄賂がまかり通る。
・字房(寺子屋)では、『童蒙先習』『千字文』『通鑑節要』を学ぶ。
・言葉は全土で同じ。ところによって語調の変異やなまりがあるくらい。薩摩人と奥州人ほどには離れていない。標準的できれいな言語を話す地は、忠州とされている。京城を凌駕する。
文章の種類は、純漢文(学者、官衙の訓令)、朝鮮的漢文、吏頭文(万葉仮名)、吏頭混じり漢文(金銭貸借証文、起請文等)、諺文(ハングル。言文一致体)、漢字混じり諺文(稀に見る程度)。
最近読んだ本
最近は仕事が忙しく、なかなか本が読めなかった。読む気力もなかった。
ようやく読む意欲が出て来たので。
鄭晢仁『当事者が書いた強制連行 北海道・闇に消えた十一人』彩流社、1999年
本間九介『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』祥伝社、2016年
岡和田晃、マーク・ウィンチェスター編『アイヌ民族否定論に抗する』河出書房新社、2015年
尹健次『「在日」の精神史1 渡日・解放・分断の記憶』岩波書店、2015年
植木哲也『植民学の記憶ーアイヌ差別と学問の責任ー』緑風出版、2015年
『北海道の歴史散歩』山川出版社、2006年
今回は北海道と朝鮮をテーマに。
まだまだ読まなければならない本がたくさんある。
大学での異文化接触
大学進学はかなりの異文化接触だと思う。
とくに東京とか関西の、大規模で色々な地方から進学する人が多いところで一人暮らしすると。
地元の常識や実家の常識が通じなかったり、逆に相手の常識に驚いたりする。
最近読んだ本
作家金達寿先生の、終戦までの自伝。
日本に来てからの苦労のこと、見聞きしたこと、文学を志したこと、など。小説も『日本の中の朝鮮文化』も読もう。
印象に残ったところは以下のとおり。
・鎌倉駅にいた時に、駅の拡声器から太平洋戦争勃発を知らせる大本営発表が流れた。しかし乗客の様子はいつも通り、「人々はそれぞれの頭のなかではなにを考えているのかわからなかったが、みな平気で、いつもと変わりなく歩いて行っている。 」
10年も前から続いていた戦争に人々は馴れてしまっていた。
・関釜連絡船。朝鮮からの渡航には警察が発行した渡航証明書が要り、朝鮮へ帰るには一時帰鮮証明書が要る。乗船時には特高が見張っている。
1944年に朝鮮から乗った時には釜山港に強制徴用者達の列が。
いつか下関〜釜山間のフェリーに乗らねばなるまい。
高句麗・百済・新羅・伽耶からの渡来人は日本の基層になっている。そういう視点で神社やお寺を訪ねたくなった。