読書メモ
『北白川こども風土記』から。
地元の小学生が北白川の史跡や昔話等を調べた成果をまとめた本。
とても勉強になる。近隣住民である私も知らなかったことも沢山書いてあり、それは本にまとめてもなかなか広まらないんだなあということでもある。
江戸時代の終わりごろ、百万遍の近くには会津の殿様がすんでいました。そのころ北白川には「小鉄」という人がいて、この人は人足(運送などを仕事とする人)の親方だったのですが、会津の殿様のやしきに出入りして仕えていたので、人々から「会津の小鉄」と言われていました。
小鉄は、そのころひじょうにこの石仏さんを信仰していて、毎日おがんだのです。ですから、小鉄が死んでしまったあとでも、家の人たちは小鉄とかわりなく、石仏さんをおがみつづけました。その石の花立を、石仏さんのためにつくってのこしたということです。
この花立の正面には、「上坂」とほられていますが、これは、もともと小鉄の姓だそうです。また花立のうらがわには大きなひょうたんのもようがほられていますが、これも小鉄の家の紋だということです。
また、茶屋四郎次郎(徳川家の御用商人)が作った茶山園について。叡電の茶山駅から茶山街道へ東に行くとある、と書かれてあり、この敷地は現在の京都造形芸術大学である。
ここは別荘で、情延山の別荘とも茶山園とも呼ばれていた。もともと織田信長のものらしいが、所有者が代わり、発行年である昭和34年までには川西さんという飛行機会社の社長さんのものになっていて、すでに荒れていたという。
翻訳講座
某会社の翻訳講座を通信で受講していて。
会社によって表記の仕方や文章の切り方が違うそうだけど(ということを受講してから知ったのだけど)、
もちろん翻訳ルールの概要は最初に教えてもらえるわけだが、「この語彙はこう表記します」というルールは課題の採点の都度コメントが入れられる。
前もって細かいルールを教えられずに、「ここはこう表記することが多いです、×、減点」となるのは納得いかないですね。
翻訳会社に営業かけて、挨拶回りやメールをして、覚えててもらって、というのも向いてないなあと思います。
語学好きは別の形で生かしたいなと思う。
例えば、○○語の本を読むため・調べ物のために習得する、言語同士の比較のため習得する、とか初心に帰りたいです。
読書メモ
日本の戦後にはアメリカの影があったという内容。
自分の立場を守るために上手くアメリカにすり寄った、韓国でいう親日派みたいな人達がいたんだな…と。
過去清算をすべきなのでは?
読書メモ
『悪童日記』の作者がハンガリー生まれで、1956年のハンガリー動乱の時に難民としてオーストリアを経由してスイスに亡命した。フランス語圏なのでフランス語を覚えなければならなかった。
いったいスターリンは、どれほどの数の人を犠牲にしたか?誰も正確には知らない。ルーマニアでは、今なお死体を見つけては数えている。ハンガリーでは一九五六年の動乱のときに三万人が殺された。今後も永遠に計り知ることのできないのは、あの独裁政治が東欧の国々の哲学・芸術・文学に対してどれほど忌まわしい役割を演じたかということである。東欧の国々に自らのイデオロギーを押しつけることで、ソビエト連邦は東欧の国々の経済発展を妨げただけではない。それらの国々の文化とナショナル・アイデンティティーを窒息させようとしたのだ。
わたしの知るかぎりでは、ロシア人の反体制作家で、この問題を取り上げた者、この問題に言及した者はいない。彼らはどう考えているのだろう?自分たちの間に現れた暴君によって災いを被ることになった彼らは、その同じ災いに加えて、外国ー彼らの国ーによる支配をも被ることになったあれら「取るに足らない小さな国々」のことを、どう考えているのだろう?自分の国が他国を不当に支配したことを、彼らは一度でも恥じたことがあるのだろうか。今後、恥じることがあるのだろうか。
そして何よりも、あの日、一九五六年の十一月末のあの日、わたしはひとつの国民への帰属を永久に喪ったのである。
わたしが悲しいのは、それはむしろ今のこの完璧すぎる安全のせいであり、仕事と工場と買い物と洗濯と食事以外には何ひとつ、すべきことも、考えるべきこともないからだ、ただただ日曜日を待って、その日ゆっくりと眠り、いつもより少し長く故国の夢を見ること以外に何ひとつ、待ち望むことがないからだとーー。
この人の感情を害することなしに、わたしの知っているわずかなフランス語でもって、あなたの美しいお国はわたしたち亡命者にとっては砂漠でしかないのだと、いったいどうすれば説明できるのか。この砂漠を歩き切って、わたしたちは「統合」とか「同化」とか呼ばれるところまで到達しなければならないのだ。当時、わたしはまだ、幾人もの仲間が永久にそこまで到達できぬことになろうとは知らなかった。
さて、人はどのようにして作家になるかという問いに、わたしはこう答える。自分の書いているものへの信念をけっして失うことなく、辛抱強く、執拗に書き続けることによってである、と。
読書メモ
岸信介は北一輝や大川周明の思想的影響を受けているというのが意外だった。
邱永漢『食は広州に在り』中公文庫、1975
日本統治時代の台南に生まれ、旧制台北高校を経て昭和20年東大経済学部を卒業して台湾に帰り、29年に再来日し文筆活動を始める、と著者紹介にある。
この本は昭和29年の末から連載されたものが昭和32年に刊行されている。
広東料理のこと、香港のこと、華僑のこと、連載当時の中国事情が面白い。
「私は日本統治下にあった台湾で育ったから、一年に二回正月を迎えた。新暦には日本の餅を食べ、旧暦には中国の糕を食べ、この習慣はいまなお続いている。」
「私が広東語を習いたてのころ、広東人が日本人を蘿蔔頭(大根野郎)と呼ぶのを聞いて不思議に思った。よくきいてみると、日本人は盛んに大根を食べるからだそうである。広州や香港を占領していた当時、沢庵を漬けたり、生でかじったり、ふろふき大根や大根おろしにして食べたりする日本人が彼らの目にはよほど奇異に映ったにちがいない。」
「漢文といえば、「人之初、性本善」ではじまる三字経が私たちの字を覚える手始めであったが、小学校、七年制高等学校、帝国大学と一貫して日本語の教育を受けたので、棒読みにするほうが自然なところを、わざわざ、句読点をつけてひっくり返して読む習練を積まされた。それでは困るというので、学校がひけてから、べつに漢学先生について論語や大学を福建音で勉強させられた」
読書メモ
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの作品をまとめ読みしている。
自分の言葉で語るのも発表するのも難しいソ連地域で、自分の言葉で戦争や事件を語ろうとしている。
ベラルーシ人にとって第二次世界大戦とは何だったのか(ドイツ兵=ファシストによる爆撃、占領、避難、虐殺)、チェルノブイリとは何なのか、アフガン侵攻とは何だったのか(戦争ではなくアフガンの共産化を助ける目的と教えられたが、実際は戦争だった)。
著者名表記が揺れているのが気になりますが…。
ボタン穴から見た戦争――白ロシアの子供たちの証言 (岩波現代文庫)
- 作者: スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ,三浦みどり
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2016/02/17
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- 作者: スベトラーナ・アレクシエービッチ,松本妙子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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